思考断片
一線を越えられるかどうか
「一線を越える」という表現があるが、辞書をひくと、「してはならないことをする」などとある。つまり、あるラインの向こう側は、立ち入ってはならない、禁断の領域なのだ。
しかし、私は、「あるラインの向こう側には、楽園が広がっている」と考え、「越えてはならない一線」ではなく、「越えることを目標とする一線」と捉えても面白いと思う。
ある人の講演で、「努力を地道に積み重ねていると、あるとき、それまでの努力が一気に報われ、自分の周りの状況が劇的に好転する瞬間が訪れる」という話を聞いた。最近、そのことが少しだけ理解できるようになった。
しかし、残念なことに、ほとんどの人は、その劇的瞬間を待たずして、努力することを止めてしまう。つまり、一線を越えずして、諦めてしまうのだ。
一線を越えられるかどうかは、何によって決まるのだろうか? 私は、「たとえ一線を越えられなくても、自分が信じたことをやり通せれば本望だ」と腹をくくれるかどうかだと思う。
芥川賞を史上最年長で受賞した黒田夏子さん(75)が「生きているうちに見出してくれてありがとう」と言ったときの表情に、腹をくくった人だけが醸し出す一種のすがすがしさを感じた。
[2014/01/15]